#東日本大震災から14年 3月11日に宮城野体育館で献花と黙祷をして勾当台公園市民広場のキャンドルナイトを観てきました【仙台のニュース】


YouTube"#東日本大震災から14年 宮城野体育館 3.11キャンドルナイト2025「共 ~備え伝える知識が命を守る~」 勾当台公園市民広場【仙台のニュース】"(大画面で観たい方はこちらへ)
東日本大震災から14年経った3月11日に宮城野体育館にて献花と黙祷をして、勾当台公園市民広場にてキャンドルナイトを観てきました。
宮城野体育館は東日本大震災仙台市追悼式の会場となっており、私は招待者ではないので式典会場には入りませんでしたが、誰でも入場できる献花場にて献花と14時46分の黙祷を捧げました。
勾当台公園市民広場のキャンドルナイトはよく晴れた月夜となり、キャンドルの灯火が輝く会場で美しい歌が披露されました。

東日本大震災が起きた2011/03/11のことはあまり文章に残していなかったと思うので、14年前の記憶をたどってみます。
震災の日、雪が降る仙台市中心部で私は地震に遭いました。
他の地方に住む方からは「仙台で被災して大変だったでしょう」と言われたことがありますが、仙台市中心部は津波の被害は無く、私の住居は家具が倒れたくらいで壊れた箇所も無く、今思えば被害は軽い方だったと思います。
とはいえ被災当日は家具が何もかもひっくり返って寝床の確保ができず、電気もガスも水道も止まってしまったので、近所の避難場所になっている学校に行って一晩を過ごしました。
翌日目を覚ますと学校に設置されていたテレビでニュースが流れており、津波が起きたこととその被害が甚大だったことを知りました。
帰宅して倒れた家具を直し、程なく電気と水道が復旧したのですが、ガスが1ヶ月以上使えなくなったことと商店が営業休止になったり食料品が入ってこなくなったりしたことに苦労しました。
ガスが使えなくなったことで入浴できなくなったので、やかんでお湯を沸かしてバケツにためてタオルを絞って身体を拭いたりしてしのぎました。
それなりに大変ではあったのですが、私が遭った災害は地震だけで、怪我や病気になることも無く、一人暮らしでフットワーク軽く営業再開した商店に足を運んだりできたので、生きながらえるのに苦労するほどでもありませんでした。

今はせんだいメディアテークの市民図書館に東日本大震災に関する書籍や映像、被災者の声の記録があったり、仙台市天文台のプラネタリウムでは震災特別番組が放映されたりしていますが、そういった記録に出演するような、津波から命がけで逃げたり家が流されたりした人たちに比べれば、私は震災の語り部となれるほどでもない軽い被害だったのだと思います。
震災で親族や知り合いが命を落としたということも全く無く、震災の記憶でうなされることも無く、震災については嫌な記憶や悲しい記憶や、心にずしりと響く物語が私には無いのです。
そんな私が毎年3月11日に献花場に足を運び、誰の顔を思い浮かべるでもなく、生きていることを感謝して花を捧げ、手を合わせているのです。
今では震災のことを考えるのは、3月11日の献花と黙祷の時くらいです。

仙台は大学が複数ある街で、街を歩くのは若い世代が多いです。
震災から14年経つと、街を歩いている人の結構な割合で、震災の記憶が無かったり、震災当時は生まれていなかったりするのだろうと思います。
勾当台公園市民広場で催されたキャンドルナイトのセレモニーで合唱を披露した学生たちは14年前の震災の記憶はあるのだろうか、そんなことを考えながら、キャンドルの灯火を眺めてきました。

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